滝谷琢宗とは? わかりやすく解説

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滝谷琢宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/15 03:48 UTC 版)

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滝谷 琢宗(たきや たくしゅう、天保7年(1836年)12月22日 - 明治30年1897年1月31日)は、越後出身の日本曹洞宗僧侶。魯山琢宗とも。俗名は小川五三郎。永平寺63世貫首(真晃断際禅師)。

略歴

  • 1836年12月22日、越後国中魚沼郡仙田村(現、十日町市)の小川家の次男に生まれる。
  • 1848年4月8日、刈羽郡小国町(現、長岡市)の真福寺で出家する。
  • 1853年3月18日、江戸に上がり、吉祥寺旃檀林(現、駒澤大学)に入学する。
  • 1865年、諸嶽奕堂に師事する
  • 1870年、新潟県中蒲原郡村松町(現、五泉市)の英林寺住職となる
  • 1871年、同町の慈光寺住職となる
  • 1872年、太政官布告により滝谷を姓に選ぶ
  • 1873年、總持寺東京出張所監院となる
  • 1883年、最乗寺独住3世となる、曹洞宗務局総監となる
  • 1886年、永平寺63世となる
  • 1887年、曹洞宗管長となる
  • 1892年、永平寺貫首を引退、相模国観音寺に移動
  • 1897年、東京麻布にて遷化

著作リスト

  • 『総持開山太祖略伝』(曹洞宗務局、1879年)
  • 『曹洞教会修証義筌蹄』(明教社、1893年)

編著

  • 『曹洞教会修証義』(畔上楳仙との共編著、川端清五郎、1912年)

語録

  • 『琢宗禅師語録』(琢宗禅師語録刊行会編、永平寺、1987年)

参考文献

先代:
曹洞宗管長
1887年
次代:
先代:
青蔭雪鴻
曹洞宗永平寺貫首
63世:1886- 1892
次代:
森田悟由



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