滝澤卓とは? わかりやすく解説

滝澤卓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/10 14:20 UTC 版)

滝澤 卓
基本情報
本名 滝澤 卓
階級 ライトフライ級
身長 168 - 169cm[1]
国籍 日本
誕生日 (1987-02-20) 1987年2月20日(37歳)
出身地 愛知県安城市
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 22
勝ち 19
KO勝ち 8
敗け 2
引き分け 1
テンプレートを表示

滝澤 卓(たきざわ すぐる、男性、1987年2月20日 - )は、日本の元プロボクサー愛知県安城市生まれ、チャンピオンにはなれなかったが、日本ライトフライ級1位、OPBF東洋太平洋同級1位を経験した。安城農林高校卒業。タキザワボクシングジム所属。タキザワメンテナンスを創業し、消防設備士としても活躍中。

来歴

父親である滝澤一タキザワジム会長のもとで小学3年生からボクシングを始める。高校3年時にインターハイ3位となった。

2004年11月28日刈谷市産業振興センターでプロデビュー戦に4R判定勝ちを収め、以後9連勝となった。

2006年12月3日 プロ10戦目で久田恭裕と対戦し、10R判定負けで初黒星を喫した。

2007年4月1日名古屋国際会議場での再起戦となった木戸俊彦戦に6R判定勝ち。

2007年7月1日タイミニマム級6位ジャムパートン・ポンソンクラームに2RKO勝ちし、日本同級12位にランクイン。

2007年12月2日OPBF東洋太平洋ミニマム級9位のチャンサクノイ・サクルンルアンに2RKO勝ちでOPBF東洋太平洋ライトフライ級14位にランクイン。

2008年8月、日本ミニマム級7位からライトフライ級に転級表明。

2009年3月29日、自身初の後楽園ホールで松信俊一(大橋)に3RTKO勝ちを収め、4試合連続KO勝利となった。

2009年7月2日日本タイトル挑戦権獲得トーナメントライトフライ級準決勝で日本同級6位として1位の山中力(帝拳)と対戦する予定だったが、山中の棄権により決勝進出となった。10月11日に行われた決勝戦では4位として3位の須田拓弥(沼田)と対戦し、2-0(77-75、77-75、76-76)の判定勝利で日本同級王座への挑戦権を獲得した。

2010年2月21日松下IMPホール宮崎亮の持つ日本ライトフライ級王座に同1位として挑戦。初回からダウン応酬の展開となり、3Rに偶然のバッティングで左目上をカット、この出血により4R0分55秒負傷引き分けに終わり、王座獲得はならなかった[2]。同年6月18日、49.5kg契約8回戦で日本ライトフライ級1位として同6位の黒田雅之(川崎新田)と対戦し、0-3の判定負けを喫した。

2010年10月20日、右目の網膜剥離が発覚し、試合がキャンセルされ引退を表明[3]11月28日、正式に引退[4]。 引退後は、タキザワジムでトレーナーとして勤めている。

戦績

  • アマチュアボクシング:13戦8勝 (5KO・RSC) 5敗
  • プロボクシング:22戦19勝 (8KO) 2敗1分

脚注

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「滝澤卓」の関連用語

滝澤卓のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



滝澤卓のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの滝澤卓 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS