滝川一乗とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 滝川一乗の意味・解説 

滝川一乗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/07 13:26 UTC 版)

 
滝川 一乗
時代 安土桃山時代江戸時代
生誕 慶長7年(1602年
死没 寛文5年1月14日1665年2月28日
幕府 江戸幕府
主君 滝川一積徳川秀忠家光
氏族 滝川氏
父母 父:滝川一時
正室:戸田尊次の娘
一俊、一守、一仲、一成
テンプレートを表示

滝川 一乗(たきがわ かずのり / いちのり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将旗本滝川一時の長男。妻は戸田尊次の娘。子に滝川一俊、滝川一守、滝川一仲、滝川一成。

生涯

慶長7年(1602年)、伊勢亀山1万4,000石の大名[要出典]・滝川一時の長男として誕生。

父・一時は、徳川秀忠にも仕えていたが、慶長8年(1603年)に病死すると、一乗が幼少であったため江戸幕府により、 豊臣家から与えられた1万2,000石は没収され[要出典]徳川家から拝領した2,000石は叔父の一積が一乗が15歳になるまでの名代として引継ぎ、一乗にはうち250石が分与された。

ところが、一積は一乗が15歳になっても家督を返そうとしなかったため、元和2年(1616年)に青山忠俊に訴え出る。それを聞いた秀忠は、一乗が言うことも理ではあるが、まだ20歳未満であるため、番士の列に加えられるまでは一積が名代を務めるべきとし、とりあえず一乗は750石を加えられて持ち高は1,000石となった。その後、元和7年(1621年)に西の丸書院番士に列すると、父の遺領のことを再び申し出たものの、はぐらかされ延び延びとなり、結局果たされることはなかった。寛永10年(1633年)に200石を加えられて1,200石となる。寛永18年(1641年)に小姓組番士となる。

寛永5年(1665年)、死去。法名は紹祐。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「滝川一乗」の関連用語

滝川一乗のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



滝川一乗のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの滝川一乗 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS