源彦仁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 03:09 UTC 版)
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|---|---|
| 時代 | 鎌倉時代中期 - 後期 | 
| 生誕 | 不明 | 
| 死没 | 永仁6年3月23日(1298年5月5日) | 
| 改名 | 彦仁王→源彦仁 | 
| 別名 | 四辻彦仁[1]、石蔵三郎宮 | 
| 官位 | 正三位・左近衛中将 | 
| 主君 | 伏見天皇 | 
| 氏族 | 順徳源氏 | 
| 父母 | 父:岩倉宮忠成王、母:藤原範能娘 | 
| 兄弟 | 彦豊王、彦仁 | 
| 妻 | 二条良実娘、三条公親娘 | 
| 子 | 忠房親王、承鎮法親王、守子内親王 | 
源 彦仁(みなもと の よしひと)は、鎌倉時代中期から後期にかけての皇族・公卿。順徳天皇の孫で、無品忠成王の子。官位は正三位・左近衛中将。
経歴
文永年間(1260年代)後嵯峨天皇の第一皇女・月花門院(綜子内親王)と密かに通じていたという[2]。
永仁2年(1294年)に元服する。永仁4年(1296年)二世王としての蔭位により従四位下に直叙され侍従に任ぜられる。翌永仁5年(1297年)には4月従四位上、6月従三位、11月正三位と1年間で五階の昇叙を受ける。この間に左近衛中将に任ぜられるが、永仁6年(1298年)3月23日薨去。最終官位は左近衛中将正三位。
官歴
『公卿補任』による。
- 永仁2年(1294年) 3月22日:元服
 - 時期不詳:臣籍降下(源朝臣)
 - 永仁4年(1296年) 12月20日:従四位下(直叙)、侍従
 - 永仁5年(1297年) 2月19日:禁色。4月10日:従四位上。6月25日:従三位。6月26日:侍従如元。11月14日:正三位
 - 時期不詳:左近衛中将
 - 永仁6年(1298年) 3月23日:薨去(左近衛中将正三位)
 
系譜
脚注
出典
- 『公卿補任 第二篇』吉川弘文館、1982年
 - 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年
 
固有名詞の分類
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