満福寺 (栃木県野木町)とは? わかりやすく解説

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満福寺 (栃木県野木町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/05 05:54 UTC 版)

満福寺
本堂(2012年7月)
所在地 栃木県下都賀郡野木町野渡706
位置 北緯36度12分33秒 東経139度41分56秒 / 北緯36.20928度 東経139.69897度 / 36.20928; 139.69897座標: 北緯36度12分33秒 東経139度41分56秒 / 北緯36.20928度 東経139.69897度 / 36.20928; 139.69897
山号 西光山
院号 乾亨院(乾享院)
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 明応元年(1492年
開山 能山聚藝
開基 足利成氏
正式名 西光山 乾亨院 満福寺
文化財 足利成氏の墓(町指定)他
法人番号 8060005005130
満福寺
満福寺 (栃木県)
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満福寺(まんぷくじ)は、栃木県下都賀郡野木町野渡にある曹洞宗の寺院。正式には、山号を西光山、院号を乾亨院、寺号を満福寺という[1]古河公方ゆかりの寺院である。

歴史

戦国時代明応元年(1492年)に建立された。古河公方足利成氏開基東昌寺2世・能山聚藝の開山と伝えられている[2]。寺伝によれば、もとは臨済宗の寺院であり、本尊も鎌倉円覚寺から移されたが、永正元年(1504年)に曹洞宗に改められた(『古河志』)[3]

江戸時代に火災があったが、安政元年(1854年)に再建、現在に至る[1]

戦国時代の連歌猪苗代兼載の墓があることにちなみ、昭和30年代には兼載が好んだ桜が山門前に植えられており、名所となっている[4]

文化財

交通

脚注

  1. ^ a b c 野木町公式ホームページ 野木町観光情報 歴史探訪 満福寺
  2. ^ 野木町史編さん委員会 編 『野木町史 歴史編』 野木町、1989年、303頁(中世の寺院)
  3. ^ a b 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、1988年、193頁(満福寺)
  4. ^ 野木町公式ホームページ 野木町観光情報 自然散策 満福寺のソメイヨシノ
  5. ^ a b c d 野木町公式ホームページ 生涯学習の時代です 史跡・文化財の紹介
  6. ^ 古河市公式ホームページ 広報「古河」No.10(2006年7月1日号)古河風土記(連歌師猪苗代兼載)p13
  7. ^ 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、1988年、204-207頁(猪苗代兼載)
  8. ^ 駅西口前「花桃館」(まちなか再生市民ひろば)にて・古河市公式ホームページ 観光・歴史 古河市の観光パンフレットより

参考文献

  • 野木町公式ホームページ
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、1988年
  • 野木町史編さん委員会 編 『野木町史 歴史編』 野木町、1989年



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