減税日本から日本未来の党へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:54 UTC 版)
「小林興起」の記事における「減税日本から日本未来の党へ」の解説
当初は新党参加の意向を示していたが、2012年8月17日に、同じく民主党に離党届を提出した小泉俊明とともに減税日本に合流して代表代行を務めた。今後も結成が予想される新党や大阪維新の会などとの連携を進め、第三極形成を模索するとしていた。 その後減税日本は、日本維新の会や太陽の党との合流を模索したが、維新側が減税の合流を拒否したため、小林は日本維新の会への入党を目指して、2012年11月21日に、減税日本へ離党届を提出したところ、一時は河村の「預かり」となるが、日本維新の会の公認が得られずに減税へ復帰して、減税日本・反TPP・脱原発を実現する党の結党に参加した。 2012年12月の第46回衆議院議員総選挙には、愛知13区から日本未来の党の公認で立候補するも落選し、比例復活もならなかった。
※この「減税日本から日本未来の党へ」の解説は、「小林興起」の解説の一部です。
「減税日本から日本未来の党へ」を含む「小林興起」の記事については、「小林興起」の概要を参照ください。
- 減税日本から日本未来の党へのページへのリンク