深尾重照とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 深尾重照の意味・解説 

深尾重照

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 09:03 UTC 版)

 
深尾重照
時代 江戸時代前期
生誕 元和5年(1619年[1]
死没 元禄2年閏1月2日1689年2月21日
別名 通称:因幡
主君 山内忠豊豊昌
土佐藩
氏族 深尾家
父母 父:深尾重昌、母:深尾重忠
兄弟 成直、重歳、重照、重康、繁康、
山内豊吉室、並川主税
松下石見守娘
重次、山内重直
継承者:重方(孫)
テンプレートを表示

深尾 重照(ふかお しげてる)は、江戸時代前期の土佐藩の家老。深尾家当主・佐川領主3代。

生涯

元和5年(1619年)、高岡郡佐川土居付家老の深尾重昌の子として誕生した。

寛永11年(1634年)、3代将軍・徳川家光が上洛する際、幕府の証人となり、上京して二条城で家光に拝謁し、土佐藩2代藩主・山内忠義の世子・忠豊と共に江戸に下向する。慶安4年(1651年)、証人を交代して帰国する。寛文2年(1662年)3月、父の隠居により家督を相続する。

寛文3年(1663年)、奉行・野中兼山の失脚のきっかけとなった3箇条の訴書を、父・重昌、義兄弟・山内豊吉と連名で、側近孕石頼母、生駒木工を通じて藩主・山内忠豊に提出した。寛文9年(1669年)、藩主・豊昌の家督相続御礼言上の際に、4代将軍・徳川家綱に拝謁する。

元禄2年(1689年)閏正月2日没。享年71。嫡男の重次は先立って没していたため、孫の重方が家督を継承した。

系譜

脚注

  1. ^ 『佐川町誌』(佐川町自治会、1919年)p.375では元和2年(1616年)4月29日生まれ。

出典

  • 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年
  • 『佐川町史』佐川町史編纂委員会
先代
深尾重昌
佐川深尾家3代当主
1662年 - 1689年
次代
深尾重方



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「深尾重照」の関連用語

深尾重照のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



深尾重照のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの深尾重照 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS