海中縄張り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 09:17 UTC 版)
当城の最大の特徴として、陸繋島という地理上から潮が引くと島に至るまでの陸路ができ、幾重にも石垣が築かれているが、満潮時には没し、海中縄張りとなった。従って、潮が干した時のみ役割を担う石垣(時刻によって陸路が形成された時の備えとしての防御)である。この珍しい光景から、元禄4年(1691年)、この沖を航行したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルが帰国後に『日本誌』において、「水中よりそびゆる保塁あり」と記述を残すこととなる。 城がある古城島が、干潮時に160メートル離れた大三島と陸続きになることは「海割れ」と呼ばれるが、その頻度は年数回のみとされる。石垣は廃城となった後に多くが持ち去られ、基礎部分のみが残るだけの部分が多い。
※この「海中縄張り」の解説は、「甘崎城」の解説の一部です。
「海中縄張り」を含む「甘崎城」の記事については、「甘崎城」の概要を参照ください。
- 海中縄張りのページへのリンク