浅野内匠頭のストレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:32 UTC 版)
『冷光君御伝記』によれば、浅野内匠頭は勅使御馳走役が嫌で仕方がなかったらしく、「自分にはとても勤まらない」と述べている。御馳走役はほぼ家中をあげて準備をしなければならず、接待費は藩ですべて持たねばならず、しかも典礼の詳細は高家肝煎である吉良の指図を受けねばならないなど、ストレスの溜まる仕事であった。特にこの年は、綱吉が最愛の母を慣例に反してまで従一位に推そうとしていたため、綱吉は公家の接待に熱心であり、例年よりも緊張を強いられた。 また内匠頭は11日ころから持病の痞(つかえ、詳細後述)が出るなど、心身に不調をきたしていた史実から考察するに、内匠頭に御馳走役を務めるに当たり心理的ストレスが蓄積され、ストレスの暴発により、刃傷に及んだ可能性も考えられる。 なおこのストレスが下記に述べるような「乱心」を引き起こしたとも考え得る。
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