流の消滅と再編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 15:31 UTC 版)
1962年に公布・施行された住居表示に関する法律を受けて、行政合理化を図るため福岡市では1966年に町名町界を旧来の背割りを廃し街区方式に改める町名町界整理事業を実施した。それにより、旧来からの町域に基づく流は行政上の区画としての町域との整合性が無くなることになり、行政上の意味を失い廃されることとなったが、地域共同体における必要性から流は即日再編されることとなった。 例えば、恵比須流・大黒流はほぼ旧体制を受け継いで今日に至っており、土居流は、町名町界整理事業により土居町をはじめとする大半の町が消滅したため存続が困難視されたが、有志によって土居町筋沿いの旧町体制を維持した土居流保存会が結成されて流が復活することとなり、引き続き山笠の当番を務め今日に至っている。 一方、呉服町流は大半が大博通りに含まれまた分断されることになり流運営も苦しくなるため、東西に分離して東側は東町流と合流し東流、西側は西町流と合流し西流となった。
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