洋務運動の推進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 13:52 UTC 版)
詳細は「洋務運動」を参照 外交面以外にも、いち早く諸外国と相対した総理衙門は洋務化による富国強兵の必要性を痛感しており、ロバート・ハート等の建議を受け入れて関連事業の近代化も推進した。そのため同文館では本来の語学に留まらず、交通・工業・経済(特に貿易)・軍事といった面での近代教育を行い、「洋務内閣」と揶揄されたほどである。 しかしこれらの活動も諸外国から見れば「改革の歩みが遅い」と見られ、国内保守派からは「売国行為」と見られた。結局外交事務と同様、洋務運動についても1870年代からはその中心は李鴻章に移っていき、総理衙門は中心から外れていった。
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