河原田合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/23 01:49 UTC 版)
大永3年(1523年)11月10日、宇都宮忠綱は1800-2500の兵で皆川領に侵攻。皆川宗成は700の兵で出陣し、両軍は下野国皆川領河原田((現・栃木県栃木市))で対峙。合戦は宇都宮勢の大勝で当主の皆川宗成、宗成の弟の平川成明を討ち取るなど皆川氏に壊滅的な被害を与えた。しかしその後、小山氏、結城氏が1800の兵を率いて皆川氏の援軍として来て衝突。宇都宮勢は劣勢となり、退かざるを得なくなったため撤退している。 『皆川正中録』だけでなく、足利高基が猿山合戦後に宇都宮忠綱に送った文書にもこの合戦があったことを示唆する文があり、また、合戦となった場所の跡には、合戦場駅として名が残されてあるため、合戦そのものはあったが、内容はこの通りとは限らない。
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