沢田幸二
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沢田 幸二(さわだ こうじ、1957年〈昭和32年〉12月8日[2] - )は九州朝日放送役員待遇エグゼクティブアナウンサー[3]。山口県岩国市出身。
- ^ 第61回民間放送全国大会を開催 - トピックス | 一般社団法人 日本民間放送連盟
- ^ a b c 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、279頁。NDLJP:12276264/140。
- ^ 役員待遇なので契約は1年毎
- ^ ラジオ関西、ラジオ福島、ラジオ関東、朝日放送、中国放送、札幌テレビ放送、静岡放送等。
- ^ 沢田は「メイン実況アナウンサーに『新人の沢田が慌てなくて済む様にトップを走る選手が現れる数分前に(時間に余裕を持って)沢田にマイクを渡す』と事前に告げられていた。折り返し地点・海ノ中道と香椎の歴史、由来などのコメントや話す順番を事前に考えていたが本番ではメイン実況アナウンサーがトップランナーが折り返す直前にマイクを沢田に渡したので用意しているコメントが話せなかった」と述べている。
- ^ 『月刊ラジオパラダイス』1989年5月号97ページ『KO〜MON』通信
- ^ 『月刊ラジオパラダイス』1990年4月号84ページ『KO〜MON』通信
- ^ “2013.11.06 11月6日(水)のごごばん!”. ニッポン放送『ごごばん!』公式サイト. 2014年5月28日閲覧。
- ^ 同期入社の和田は2022年度を以て定年退職。フリーアナウンサーに転身した。
- ^ 『月刊ラジオパラダイス』1987年9月号メイン特集「スーパーローカルラジオ対決 沢田のPAO〜N vs 小堀のわ!WIDE」p.38 - 51
- ^ a b 『月刊ラジオパラダイス』1988年7月号67ページ『ラジパラタイムス』
- ^ PAO~N 2021年2月2日放送分のオープニング トークで発言
- ^ おすぎは2021年12月中旬、PAO〜N月曜日パーソナリティを卒業した
- ^ 1992年10月〜1999年9月まで担当。その後は信川竜太に交代して、2001年3月まで放送した
- ^ 後に『沢田幸二 イケイケドンドン』→『沢田幸二 ラジオジャンクション』のサブタイトルが入った
- ^ 偶数月の第4日曜(第5日曜に放送された事も)深夜、KBCラジオ本放送終了後に放送されたスペシャル番組
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