江戸での南岳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 00:02 UTC 版)
三十代前半の3年間、江戸に遊歴。俳諧師の鈴木道彦と親交があり、『むまの上』(享和2年刊・1802年)の挿図を画いた。 江戸において開催された書画展覧会(「秋芳園新書画会」文化元年)などに参加。谷文晁・亀田鵬斎・酒井抱一・鈴木芙蓉・釧雲泉・浦上春琴・鍬形蕙斎・雲室・横田汝圭・長町竹石・広瀬台山・夏目成美・亀井東渓など当代一流の文人と交流した。 文晁の娘婿文一や大西椿年、鈴木南嶺が入門。渡辺崋山も南岳画の模写を熱心に行っている。このように南岳は江戸において「京派」・「京伝」と称され、文晁派を中心に円山派の画法を広めた。京都に戻る時には300両を蓄えたといわれ、江戸で南岳の画風は持て囃されたようだ。
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