大西椿年とは? わかりやすく解説

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大西椿年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/20 22:36 UTC 版)

大西 椿年(おおにし ちんねん、寛政4年(1792年) - 嘉永4年11月6日1851年11月28日))は江戸時代後期の南画家

は大寿。は楚南・運霞堂・霞翁など。通称は行之助。江戸の生まれ。

略伝

幕府手代を務め、浅草鳥越橋付近(現・台東区浅草橋3丁目)に住んだ。

円山応挙の高弟・渡辺南岳が一時江戸に移り住んだとき入門し円山派の画法を習得。江戸に円山派を広める役割を果たした。南岳の帰京後、谷文晁の画塾写山楼に入り、様々な画派(南画南蘋派北宗画大和絵狩野派など)の技法を修める。人物図・花鳥図など画作したが特に亀の戯画に人気があった。渡辺崋山曲亭馬琴亀田鵬斎らと交友した。

行年60歳。浅草金剛院に葬られたが、現在墓所は熊野山安泰寺大田区西糀谷)にある。門弟に洋画家・川上冬崖淡島椿岳がいる。

刊行物

  • 『楚南画譜』天保5年(1834年)
  • 『椿年画譜』文政12年(1829年)
  • 『あつまの手ぶり』 文政12年(1829年)
  • 『太平有象』
  • 『日光山志』

挿絵

  • 平野元良『養性訣』 天保6年(1835年)
  • 得蕪・柴田是真『俳諧月次集』

作品

亀の戯画

脚註

  1. ^ 北海道博物館編集 『夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界』 「夷酋列像」展実行委員会北海道新聞、2015年9月5日、p.84。

参考文献

  • 佐々木英理子編「画家略伝」 所載「谷文晁とその一門」板橋区立美術館 2007年
  • 渥美国泰『写山楼谷文晁のすべて 今、晩期乱筆の文晁が面白い』里文出版、2001年、ISBN 4898061729
  • 野村文紹 『谷文晁翁之記』



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