水番屋、水衛所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 02:08 UTC 版)
江戸の飲料水の貴重な水源であり、水質を守るため、洗い物、漁撈、水浴び、塵埃の投棄などはご法度とされ、厳重に取り締まられていた。また水路の両側幅3間は保護地帯とし、樹木の伐採のみならず下草刈りの類も厳禁であった。 羽村、代田村(現在の京王線代田橋駅付近)、および四谷大木戸には水番所(水番屋)がおかれ、水番人が詰めて塵芥の除去などを行っていた。このほか大木戸の水番所は、市中への配水量を調節しつつ、余った水を渋谷川(穏田川)へと放流する役割も行っていた。 近代になるとより多数の「水衛所」が置かれ、同様の管理を行ったが、淀橋浄水場の閉鎖とともに多くの水衛所は役割を終えた。現在は小平監視所が水質監視・管理の業務を行っている。
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