毛利高定とは? わかりやすく解説

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毛利高定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/14 01:18 UTC 版)

 
毛利 高定
時代 江戸時代前期
生誕 慶長8年(1603年[1]
死没 元禄元年12月26日1689年1月17日[1]
別名 高明、次郎八、数馬[1]
戒名 全英[1]
墓所 保善寺[1]
幕府 江戸幕府 書院番[1]
主君 徳川家光家綱
氏族 藤姓毛利氏
父母 父:毛利高政、母:吉田氏[2]
兄弟 高成高定松平重長の妻[3]
十郎左衛門、高信、間宮盛俊の妻、石川政之の妻[1]
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毛利 高定(もうり たかさだ)は、江戸時代前期の武士豊後佐伯藩の家門、のち旗本

経歴

佐伯藩初代藩主・毛利高政の次男、庶子[2]慶長17年(1612年)父とともに前将軍徳川家康御目見し、江戸在府料として月俸70口を付される(元和4年(1618年)帰国)[1]

寛永10年(1633年)異母兄の2代藩主・高成が急死すると、その嫡男・高直が4歳と幼かったため、高成の叔父・吉安に後継として擁立された。しかし翌年に幕府は高直の相続を正統と認めたため、高定は佐伯藩を去って旗本に転じ、書院番300俵となった[4][5][1]延宝5年(1677年)家督を次男・高信に譲り、元禄元年(1689年)87歳で没[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 『寛政重修諸家譜』, p. 212.
  2. ^ a b 『寛政重修諸家譜』, pp. 208–212.
  3. ^ 『寛政重修諸家譜』, pp. 208–209.
  4. ^ 佐伯 1989, pp. 198–199.
  5. ^ 『大分県史』, p. 84.

参考文献




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