松平重長とは? わかりやすく解説

松平重長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/08 06:35 UTC 版)

 
松平重長
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 天正2年(1574年
死没 慶長20年1月5日1615年2月2日
官位 淡路守
主君 松平忠輝
越後高田藩付家老
氏族 能見松平家
父母 父:松平重勝、母:鳥居忠吉
兄弟 重忠重長重則、重信、勝隆
岩瀬氏与室ら
正室:毛利高政
伊奈忠克
勝広[1]
テンプレートを表示

松平 重長(まつだいら しげなが)は、江戸時代初期の武士松平重勝の次男。官位淡路守

略歴

徳川家康の六男・松平忠輝越後国高田藩)の付家老として、越後三条2万石を与えられた父に付随する。長兄・重忠は将軍家で大番頭を務めていたため、重長が手元に置かれた。

後年、主君・忠輝が改易となるが、その上使を務めたのが弟和泉守勝隆だった。勝隆は、高田より先に三条の父兄の元を訪れ、忠輝除封を報告した。その後、忠輝の家中への申し渡しでは父の重勝と共に、弟とはいえ上使である勝隆に伏し従う形だったと伝わる。

脚注

  1. ^ 松平勝隆の養子




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松平重長」の関連用語

松平重長のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松平重長のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松平重長 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS