武重邦夫とは? わかりやすく解説

武重邦夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 19:57 UTC 版)

たけしげ くにお
武重 邦夫
生年月日 (1939-05-21) 1939年5月21日
没年月日 (2015-07-02) 2015年7月2日(76歳没)
出生地 日本 愛知県名古屋市
国籍 日本
民族 日本人
職業 映画監督プロデューサー
ジャンル 映画
主な作品
『いのちの作法』ほか
 
受賞
文化庁芸術祭奨励賞
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武重 邦夫(たけしげ くにお、1939年5月21日[1] - 2015年7月2日[2])は、日本映画監督日本映画学校日本映画大学相談役。株式会社シネマネストJAPAN映画製作研究所代表。

人物

1939年愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学教育学部卒業。1965年今村昌平率いる今村プロ結成に参加。1975年今村昌平とともに横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を設立。同校の専務理事を務める。

1988年新宿映画祭創設。1995年にはしんゆり映画祭を創設する。

カンヌ国際映画祭パルムドール賞を受賞した『楢山節考』をはじめ、今村昌平作品の助監督やプロデュースを多数手がける。

監督作は、文部大臣賞受賞の『民と匠の伝説』(1994年)等。映画プロデューサーとしても活躍していた。

2015年7月2日、のため死去[1]

主な作品

映画

  • 復讐するは我にあり』(副プロデューサー・1977年)
  • ええじゃないか』(プロデューサー・1979年)
  • 人間蒸発』(録音・1967年)
  • 『ユリ子からの手紙』(監督・1981年)
  • 楢山節考』(助監督・1983年)
  • 君は裸足の神を見たか』(企画・1986年)
  • 女衒 ZEGEN』(プロデューサー・1987年)
  • 『バナナシュート裁判』(プロデューサー・1987年)
  • らせんの素描』(プロデューサー・1991年)
  • 『友だちのいる孤独』(製作・1991年)
  • 『民と匠の伝説』(監督・1994年)
  • 『Challenged』(プロデューサー・1998年)
  • 『利休・幻の茶室』(監督・2002年)
  • 『掘るまいか』(プロデューサー・2003年)
  • 『いのちの作法』(製作総指揮・2007年)
  • 『葦牙 あしかび こどもが拓く未来』(製作総指揮・2009年)
  • 1000年の山古志』(企画・2009年)
  • 『3つの港の物語』(プロデューサー・2009年)
  • 『だんらんにっぽん』[プロデューサー・2011年)
  • 『父をめぐる旅』(共同監督・2012年)
  • 物置のピアノ』(企画・製作・2014年)

テレビ

戯曲

  • 『黒念仏殺人事件』(1981年)
  • 『旅人たちの南十字星』(1986年)

脚注

  1. ^ a b 『現代物故者事典2015~2017』(日外アソシエーツ、2018年)p.350
  2. ^ 訃報のおしらせ 日本映画学校 Twitter 2015年7月2日閲覧




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