正田きぬとは? わかりやすく解説

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正田きぬ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/16 13:47 UTC 版)

しょうだ きぬ

正田 きぬ
生誕 正田 きぬ
1880年2月12日
日本
死没 (1970-05-09) 1970年5月9日(90歳没)
日本
死因 老衰
配偶者 正田貞一郎(夫)
子供 正田明一郎(長男)
正田はる(長女)
正田建次郎(次男)
水島勅子(次女)
正田英三郎(三男)
脇村祐子(三女)
正田順四郎(四男)
正田千鶴子(四女)
正田篤五郎(五男)
正田和子(五女)
五代文右衛門(父)
正田あつ(母)
親戚 上皇后美智子(孫)
今上天皇(曾孫)
秋篠宮文仁親王(曾孫)
黒田清子(曾孫)
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正田 きぬ(しょうだ きぬ、1880年明治13年)2月12日[1] - 1970年昭和45年)5月9日)は、日本歌人。元日清製粉社長である正田貞一郎の妻。父は五代文右衛門

上皇后美智子の祖母で、今上天皇の曽祖母にあたる。

生涯

1880年明治13年)、正田文右衛門 (5代)(五代文右衛門)の長女として生まれる。弟に敏一郎(正田文右衛門 (6代)、六代文右衛門)がいる。

1897年(明治30年)12月8日、後の日清製粉社長となる正田貞一郎と結婚[2]。夫となった貞一郎の父(正田作次郎)はきぬの祖父(四代文右衛門)の弟で、つまり夫は父の従兄弟にあたる。貞一郎との間に5男5女を儲ける。なかでも三男の正田英三郎は、長女美智子が民間から皇室へと初めて嫁いだことで知られる。

1952年昭和27年)に歌集『松陰集 正田きぬ歌集』を出版。1970年昭和45年)5月9日、老衰のため死去[3]。墓所は東京都府中市にある多磨霊園(15-1-1-23)。

著書

  • 『松陰集 正田きぬ歌集』(1952年

脚注

  1. ^ 『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年、し138頁。
  2. ^ 貞一郎年譜”. 日清製粉グループ. 2021年11月25日閲覧。
  3. ^ 「朝日年鑑 第2巻」(1971年朝日新聞社



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