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橋本祐幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/27 14:38 UTC 版)

橋本祐幸

橋本 祐幸(はしもと ゆうこう[1]1890年明治23年)1月28日[2]1944年昭和19年)1月27日[3])は、衆議院議員立憲民政党)、内務官僚

経歴

福岡県福岡市出身。1908年福岡県立中学修猷館[4]を経て、東京帝国大学文科大学哲学科で社会学を専攻し、1918年大正7年)に卒業した[5][6]。警視庁属となり、警部、警視と昇進した。本所警察署向島警察署、日比谷警察署、四谷警察署の署長を歴任し、監察官に昇った[7]1927年(昭和2年)に退官した後は、東京市会議員に選ばれ、市参事会員も務めた。

1936年(昭和11年)、第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。その後、頼母木桂吉東京市長のもとで第二助役を、大久保留次郎同市長のもとで第一助役を務めた。

1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙で返り咲きを果たした。墓所は多磨霊園[8]

脚注

  1. ^ 衆議院 1990.
  2. ^ 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、1頁。
  3. ^ 『官報』第5110号、昭和19年1月28日
  4. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員7頁
  5. ^ 『衆議院要覧』
  6. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學生生徒姓名50頁
  7. ^ 『人事興信録』
  8. ^ 橋本祐幸”. www6.plala.or.jp. 2024年12月27日閲覧。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第11版』人事興信所、1937年。 
  • 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。ISBN 978-4-17164-810-0 503頁



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