標題の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 18:28 UTC 版)
「交響曲第3番 (マーラー)」の記事における「標題の変遷」の解説
交響曲第3番において、マーラーが最終的に標題をすべて外してしまった理由としては、当時、標題音楽が「低級なもの」とされる風潮があり、この交響曲も同様に受け取られることを恐れたからだとされている。マーラーは、交響曲第1番や第2番でも標題を部分的に、ときには全体的に用いたことがあるが、この場合、標題に基づいて作曲したというより、聴衆の曲への理解を助ける意図が大きかったと見られる。しかし、第3番では、標題の構想と作曲は平行してすすんでおり、聴衆の理解を助ける意図も含まれていたにせよ、曲の内容がこれらの標題と密接に関わっていることを示している。 この曲がマーラーの「田園交響曲」だとする見解については、マーラーは1896年11月に、友人の音楽評論家リヒャルト・パトカに宛てて、次のように書いている。「私にはいつも奇妙なことと思われるのだが、多くの人たちは、自然について語るとき、ただ花とか小鳥とか松林の風景だけを思い浮かべている。ディオニュソスの神とか偉大な牧神のことを誰も知らない。そこなのだ。標題がある。つまり、どのように私が音楽をつくるかの範例だ。どこでも、そしていつでも、それはただ自然の声なのだ。」
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