概略・由緒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/20 13:50 UTC 版)
「天満神社 (高山市)」の記事における「概略・由緒」の解説
創立年紀不詳。室町時代の中流公家で武将の姉小路尹綱の軍が戦に敗れた際、同家に伝わっていた菅原公の本像がここに祀られ、以来学問の神、天神宮として信仰を集めるようになった。しかしそれ以前から飛騨国造大八椅命が天津神社をこの地に祀ったのが始まりとされており、天津神との合祀とされた。また、式内社である大津神社の論社として延喜式神名帳に記載されている(大津は天津の誤字の可能性)。 境内には岐阜県の史跡に指定されている「竪穴式縄文住居遺跡」がある。
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