業因と業果との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 02:04 UTC 版)
善悪の業を造ると、それによって楽や苦の報い(果報、果熟)が生じることを、業因によって業果が生じるという。この業因と業果との関係について諸説がある。 Yādisaṃ vapate bījaṃ tādisaṃ harate phalaṃ,Kalyāṇakārī kalyāṇaṃ pāpakārī ca pāpakaṃ, 人が持ち去る作物は自分が蒔いた種によるものです。そのように善行為をした人は善果を、悪行為をした人は悪果を得るのです。 —パーリ仏典, 相応部 帝釈相応, 11.10, Sri Lanka Tripitaka Project 説一切有部は、業そのものは三世に実在するとし、業が現在あるときにはそれが因となっていかなる未来の果を引くかが決定し、業が過去に落ちていってから果に力を与えて果を現在に引き出すとする。 経量部は、業は瞬間に滅び去るとするが、その業は果を生じる種子(しゅうじ)を識の上にうえつけ、その種子が果をひきおこすことになるとする。
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