楠田幹人 (政治家)とは? わかりやすく解説

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楠田幹人 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/12 14:10 UTC 版)

楠田 幹人
くすだ みきと
生年月日 (1941-05-26) 1941年5月26日(84歳)
出生地 日本 福岡県朝倉郡夜須町
(現・筑前町
出身校 佐賀大学文理学部卒業
(現・佐賀大学経済学部・理工学部)
前職 福岡銀行行員
所属政党 自由民主党→)
無所属→)
新進党
子女 次男・楠田大蔵

当選回数 2回
在任期間 1987年2月1日 - 1995年1月31日

選挙区 筑紫野市選挙区
在任期間 1983年 - ?

在任期間 1975年 - ?
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楠田 幹人(くすだ みきと、1941年昭和16年〉5月26日[1][2] - )は、日本政治家福岡県筑紫野市長(2期)、福岡県議会議員(1期)を務めた。

来歴

福岡県朝倉郡夜須町(現・筑前町)出身[1]福岡県立修猷館高等学校を経て、1966年(昭和41年)、佐賀大学文理学部卒[1]。卒業後は福岡銀行に入る[1]1975年(昭和50年)、筑紫野市議会議員に当選した[3]1979年(昭和54年)、福岡県議会議員選挙に立候補したが、この時は落選した[4]1983年(昭和58年)の県議選では筑紫野市選挙区から自民党公認で立候補して、初当選を果たした[5]1987年(昭和62年)、筑紫野市長に当選。同年2月1日に就任した[2]1991年(平成3年)の市長選は無投票で再選を果たした[6]1995年(平成7年)は不出馬。翌1996年第41回衆議院議員総選挙において福岡5区から新進党公認で立候補したが、落選[1]。選挙後、公職選挙法違反で逮捕された[1]2023年(令和5年)の筑紫野市長選挙では、平井一三の応援に入った[7]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』185頁。
  2. ^ a b 青年よ故郷に帰って市長になろう : 地方から日本の変革を 115コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 青年よ故郷に帰って市長になろう : 地方から日本の変革を 116コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 青年よ故郷に帰って市長になろう : 地方から日本の変革を 117コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 朝日選挙大観 第13回参議院通常選挙(昭和58年6月)・第10回統一地方選挙(昭和58年4月) 59コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 月刊社会党 (428) 93コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 【筑紫野市長選】12年ぶりの選挙~現職含む三つ巴の戦い|NetIB-News”. 【筑紫野市長選】12年ぶりの選挙~現職含む三つ巴の戦い|NetIB-News. 2024年10月30日閲覧。

参考文献




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