桃澤夢宅とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 桃澤夢宅の意味・解説 

桃澤夢宅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 14:07 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

桃澤 夢宅(ももざわ むたく、元文3年(1738年) - 文化7年(1810年)7月10日)は江戸時代中期の歌人。諱は匡衛(まさもり)、通称は与一右衛門。字は茂兵衛[1]。別号に敬山、振思亭。子孫に桃澤如水がいる。

信濃国伊那郡本郷村(長野県上伊那郡飯島町)の庄屋(名主)桃澤喜左衛門の長男として生まれる。垂雲軒澄月に二条派歌学を学び、天明4年(1784年)に「三義点の教授」を伝授される。寛政8年(1796年)に家督を譲り上洛し、桂園派香川景樹をはじめとする多くの歌人と交わり、同10年(1798年)に澄月が没した後は垂雲軒を承継し、公家らの支持を得て後進を指導したが、享和2年(1802年)には小野斧木に譲り、帰郷した。その後は自宅の振思亭で歌作に専念し、「夢宅時代」と呼ばれる、信濃での歌道全盛期を築き、大宗匠として信濃国内は元より、江戸にまで及ぶ多くの門弟を抱えた。

歌集に「蓬牕愚藻(ほうそうぐそう)集」(正続2巻)、稿本に「文化五戊辰年歳日記」「文化七庚午年歳日記」などがある。

参考文献

  • 兼清正徳 『桃澤夢宅伝の研究』
  • 『上伊那文化大事典』

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 桃沢夢宅-1115475”. コトバンク. 2021年1月5日閲覧。


このページでは「ウィキペディア」から桃澤夢宅を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から桃澤夢宅を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から桃澤夢宅 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「桃澤夢宅」の関連用語

桃澤夢宅のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



桃澤夢宅のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの桃澤夢宅 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS