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林太平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/28 13:54 UTC 版)

林 太平(はやし たへい、1900年明治33年)3月23日[1][2] - 1984年昭和59年)10月18日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

鹿児島県[1][2][3]姶良郡、のちの国分市(現霧島市)で生まれた[4]広島陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業[1][2][3]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第73連隊付となる[1][3]。1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を卒業した[1][2][3]

1930年(昭和5年)8月、歩兵第24連隊付となり、陸軍戸山学校教官、豊予要塞参謀を経て、1932年(昭和7年)7月、参謀本部付勤務となる[1]。参謀本部員、参謀本部付(在支武官室)を務め、1935年(昭和10年)8月、歩兵少佐に進級した[1]。参謀本部員を経て、1938年(昭和13年)1月、中支那派遣軍参謀に発令され日中戦争に出征[1]。同年3月、歩兵中佐に昇進[1]。参謀本部員を経て、1940年(昭和15年)8月、歩兵大佐に進み参謀本部付となる[1][3]。同月、大本営第18班長に就任し1941年(昭和16年)5月まで在任[1]

1941年6月、ベルリンに到着し[1]、1942年(昭和17年)2月[注 1]ハンガリー公使館付武官に就任[1]。1944年(昭和19年)8月、陸軍少将に進み終戦を迎えた[1][2][3]。1945年(昭和20年)9月、軍務局付となり[1]、同年12月に帰国し[2][3] 予備役に編入された[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

脚注

注釈

  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』593頁、『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』438頁では、昭和18年1月29日。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『日本陸海軍総合事典』第2版、64頁。
  2. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』593頁。
  3. ^ a b c d e f g 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』437-438頁。
  4. ^ 『薩摩の武人たち』292頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 浜島速夫『薩摩の武人たち:三代軍人列伝』南日本新聞社、1975年。



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