板戸の鶴の図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 22:51 UTC 版)
「宝鏡寺 (気仙沼市)」の記事における「板戸の鶴の図」の解説
仙台四大画家の一人、東東洋(1755-1839)の作品。当寺本堂書院床脇の黒漆塗框の引違桐戸(幅136.36cm、高さ139.39cm)2枚に金粉をまき、丹頂鶴2羽を描いた。東洋は、狩野梅笑師信、円山応挙、池大雅らに画法を学び、四条派の呉春に師事し、後に朝廷から「法眼」の位を賜った。その後仙台藩御用絵師となり、仙台城二の丸や藩校・養賢堂の障壁画の制作を手掛けた。特に動植物画を最も得意とし、この図は晩年の円熟した境地の作で、装飾風の略筆をいかした穏やかで上品な描写など東洋の特徴をよく示している。
※この「板戸の鶴の図」の解説は、「宝鏡寺 (気仙沼市)」の解説の一部です。
「板戸の鶴の図」を含む「宝鏡寺 (気仙沼市)」の記事については、「宝鏡寺 (気仙沼市)」の概要を参照ください。
- 板戸の鶴の図のページへのリンク