松澤靖介とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松澤靖介の意味・解説 

松澤靖介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/12 05:01 UTC 版)

松澤 靖介(松沢、まつざわ やすすけ、1899年明治32年)4月16日[1] - 1959年昭和34年)6月8日[2])は、昭和期の医師政治家参議院議員(1期)、医学博士[2]

経歴

山形県[2]北村山郡長瀞村[3](東根町を経て現東根市または河北町)で、松澤幾太郎(後年、敬之と改名)[4]の長男として生まれる[3]。1926年(大正15年)北海道帝国大学医学部を卒業した[2][3]。同年、同大学附属病院で勤務した[2]

1934年(昭和9年)至誠堂病院第4代病院長に就任[2][3]。その他、山形県保険医指導委員長、同県社会保険審査会審査委員長、日本医師会代議員、同理事、第2代山形県医師会長、山県市医師会長、秋田鉄道医会副会長、山形県医療機関整備審議会会長、国民健康保険審査会委員長、山形県教育委員会委員長、都道府県教育委員会連絡協議会副会長、山形県打毬会会長などを務めた[2][3]

1956年(昭和31年)7月、第4回参議院議員通常選挙山形地方区から日本社会党公認で出馬して当選し[2][3][5]、参議院議員に1期在任した[2]。この間、医療保険制度の確立に尽力したが[3]、1959年6月、議員在任中に死去した[5]。死没日をもって勲四等旭日小綬章追贈、従五位に叙される[6]

脚注

  1. ^ 『読売年鑑 昭和34年版』429頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』410頁。
  3. ^ a b c d e f g 『山形県大百科事典』870頁。
  4. ^ 【松沢幾太郎】北村堰をひらいた”. 2020年9月3日閲覧。
  5. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』420頁。
  6. ^ 『官報』第9738号297-298頁 昭和34年6月11日号

参考文献

  • 『読売年鑑 昭和34年版』読売新聞社、1958年。
  • 『山形県大百科事典』山形放送、1983年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  松澤靖介のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松澤靖介」の関連用語

松澤靖介のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松澤靖介のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松澤靖介 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS