小杉繁安とは? わかりやすく解説

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小杉繁安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 09:45 UTC 版)

小杉 繁安(こすぎ しげやす、1884年明治17年)10月7日[1] - 1963年昭和38年)4月29日[2])は、大正から昭和期の実業家政治家参議院議員(1期)。

経歴

山形県[2]東村山郡天童町[3](現天童市)で小杉繁治の長男として生まれる[3]。1919年(大正8年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業した[2]

日本鉱業開発取締役、沢藤電機取締役、東北振興精密機械専務取締役、北日本産業社長、日生鉱業社長、東北農機社長、協栄興業社長、大船産業監査役などを務めた[3][2]

1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙山形県地方区から無所属で出馬して当選し[4]自由党に所属して参議院議員に1期在任した[2]。その間、参議院両院法規委員長などを務めた[2]

1955年(昭和30年)7月、天童町立天童小学校備品として電気蓄音機1台寄付により1956年(昭和31年)4月25日、紺綬褒章受章[5]

1963年(昭和38年)4月29日死去、78歳。勲三等瑞宝章追贈、正五位に叙される[6]

脚注

  1. ^ 『読売年鑑 昭和28年版』435頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』304頁。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第17版 上』こ13頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』420頁。
  5. ^ 『官報』第8797号554-555頁 昭和31年4月26日号
  6. ^ 『官報』第10911号5頁 昭和38年5月4日号

参考文献

  • 『読売年鑑 昭和28年版』読売新聞社、1952年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第17版 上』人事興信所、1953年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。



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