松永鉄五郎とは? わかりやすく解説

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松永鉄五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/03/05 13:53 UTC 版)

松永 鉄五郎(まつなが てつごろう)は、長唄の名跡。6代目まで唄方、それ以降三味線方。

目次

初代

(生年不詳 - 天保13年11月3日1842年12月4日))

初代松永和楓の門弟。1826年に門弟に鉄五郎の名を譲り鉄翁を名乗る。

2代目

初代松永兼五郎が1826年に2代目鉄五郎を襲名。実子に後3代目を譲る。

3代目

後の5代目松永忠五郎

4代目

(生年不詳 - 慶応3年(1867年))

3代目鉄五郎(後の5代目松永忠五郎)の娘婿。初名吉住平治郎。3代目鉄五郎には4代目兼五郎という実子がいたが、ある事情により家を出た為、3代目の娘のかめの婿養子となる。2代目芳村孝次郎の門下に入り芳村孝四郎となっていたが、1866年に4代目鉄五郎を継ぐも翌年死去。

5代目

後の2代目庄五郎

6代目

後の3代目松永和楓

7代目

(生年不詳 - 明治26年(1893年7月7日)本名は松永金太郎。

3代目鉄五郎(後の5代目松永忠五郎)の孫。2代目杵屋六郎次が1877年に7代目鉄五郎を襲名。

この人より唄方より三味線方となった。三味線の音締がよい事は天下無類、曲のハコビ、ノリは、ずば抜けて上手く名人であった。と稀音家浄観が絶賛している。三味線はどんな三味線でも何とも言えない良い音を出した。この人の糸の好みが変わっていて、二と三の糸には十三匁を掛け、一の糸には二十匁の糸を掛けた。(稀音家浄観談)

8代目

(明治10年(1877年) - 明治42年(1909年6月7日

3代目和風の養子。鉄四郎が8代目鉄五郎を襲名。

9代目

大正4年(1915年8月16日 - 昭和63年(1988年5月31日)本名は吉田実。

4代目松永和風の養子。2代目稀音家浄観の門下。6代目芳村孝次郎から1943年に9代目鉄五郎を襲名。長男が8代目松永忠五郎





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