松平定勝の時代
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慶長12年(1607年)、徳川家康が駿府城を居城と定めて移ると、異父弟で遠江国掛川藩(3万石)藩主であった松平定勝を伏見城代に任じた。2万石の加増を受けての転封であり、伏見周辺と近江国内に5万石を領した。これを「伏見藩」の成立と捉える考え方がある。 大坂の陣での豊臣氏滅亡後、元和3年(1617年)、定勝は伊勢桑名藩(6万石)へ加増移封されて転出した。これによって「伏見藩」は廃藩となったと捉えられる。
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