松島肇_(政治家)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松島肇_(政治家)の意味・解説 

松島肇 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 13:30 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
松島肇

松島 肇(まつしま はじめ、1881年明治14年)5月15日[1] - 1969年昭和44年)2月7日[2])は、日本政治家実業家徳島県阿波市出身。明治大学法学部卒業。

経歴

松島素敬の息子として板野郡土成村土成(現在の阿波市土成町土成)で生まれる[3]京都の中学校を卒業後、1901年明治34年)に上京して明治大学法科に入学し、卒業後は同大学の学生部長を務めた[4]

1906年(明治39年)に共同火災保険会社(現在のあいおいニッセイ同和損害保険の前身)に入社し、1910年(明治43年)には早稲田大学校友会に推薦された[4]

昌栄貯蓄銀行、日本資金信託、第一倉庫、安全印刷、摂津煉瓦、大阪計器製作所、中央インキ、東海市場、東亜フェルト各株式会社の社長、美馬郡是製糸、カルチウム鉱泉、東亜織布、常盤商工、黒崎電機製作所、市岡電気工業、東京絹綿紡績、大阪造船所(現ダイゾー)各株式会社の取締役、東京リベット製造、日東炭鉱、日本鋼管シャフト、城南土地各株式会社の監査役などに就いた[5]

1917年大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に当選し、1924年(大正13年)まで衆議院議員を2期務めた[4]

1931年(昭和6年)5月、経営する糸崎船渠株式会社・帝国毛織紡績株式会社などから約300万円を横領して熱海宝塚土地株式会社に注ぎ込んだとして、業務上横領・商法違反で大審院で懲役2年6か月の判決を受けた[6]。また三池炭鉱株式会社創設に関わる5万7千円詐欺事件で、同年7月の大審院判決で懲役2年が確定した[6]

1969年(昭和44年)2月7日、東京都で没する。享年89[4]

脚注

  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、28頁。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』598頁。
  3. ^ 「虚業家」による泡沫会社乱造・自己破綻と株主リスク 2006, p. 181.
  4. ^ a b c d 『阿波人物志』p214
  5. ^ 人事興信録 1921, p. マ59.
  6. ^ a b 『昭和7年 時事年鑑』時事新報社、1931年、pp.390。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 『阿波人物志』原田印刷出版、1973年。
  • 『徳島新聞五十年史』徳島新聞社、1997年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 小川功『「虚業家」による泡沫会社乱造・自己破綻と株主リスク 大正期"会社魔"松島肇の事例を中心に』滋賀大学経済学部〈滋賀大学経済学部研究叢書 第42号〉、2006年2月。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松島肇_(政治家)」の関連用語

松島肇_(政治家)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松島肇_(政治家)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松島肇 (政治家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS