松下亘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 02:36 UTC 版)
松下 亘(まつした わたる、1926年〈大正15年〉3月24日 - 1999年〈平成11年〉7月12日)は、日本の考古学者。
名取武光の指導を受けてフゴッペ洞窟の発掘に携わったほか、峠下遺跡、知床岬遺跡、網走湖底遺跡、美々貝塚などの調査を行った[1]。
また、北海道に残る陶磁器や、煉瓦の研究にも力を注いだ[1]。
経歴
1926年(大正15年)3月24日、北海道小樽市石山町に生まれる[2]。
1944年(昭和19年)4月、秋田鉱山専門学校に入学[2]。
1949年(昭和24年)5月、札幌通商産業局小樽通商事務所に勤務[2]。
1952年(昭和27年)3月、北海道開発局局長官房開発調査課に勤務[2]。
1963年(昭和38年)10月、北海道考古学会の設立に携わる[2]。
1970年(昭和45年)7月に北海道開発局を辞職し、8月に北海道開拓記念館開設準備事務所特別学芸員として勤務[2]。翌1971年(昭和46年)4月からは、オープンした記念館の特別学芸員となる[2]。
1973年(昭和48年)8月、江別市文化財保護委員となる[2]。
1981年(昭和56年)4月、北海道開拓記念館を定年退職[2]。
1983年(昭和58年)1月に財団法人北海道開拓の村事業課長として勤務するが、7月に辞職する[2]。
1987年(昭和62年)10月、北海道教育委員会社会教育部社会教育課の非常勤学芸員となり、北海道立北方民族博物館の開設に携わる[2]。
1993年(平成5年)6月、江別市セラミックアートセンターの開設準備に携わる[2]。
1999年(平成11年)7月12日午後7時32分、骨髄異形成症候群の入院療養中に、心不全により74歳で死去[2]。
脚注
参考文献
- 「北海道立図書館所蔵 松下亘著作資料目録」『北の資料』第119号、北海道立図書館、2008年2月29日、1 - 22頁。
- 松下亘のページへのリンク