東錦浮世稿談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/14 08:09 UTC 版)
「英名二十八衆句」以外の無残絵は全て芳年が描いており、慶応3年(1867年)版行の「東錦浮世稿談」、明治元年(1868年)から明治2年(1869年)版行の「魁題百撰相」が挙げられる。「東錦浮世稿談」のタイトル「稿談」は「講談」にかけており、歌舞伎狂言に取材している。総数27図とされ、釈文は仮名垣魯文。このシリーズでも国芳以来の武者絵の表現を継承しているが、血はあたかも衣装のように描かれている。また、幕末期時期の浮世絵作品としては珍しく、暗喩の意識が薄く、隠されたテーマがあまり見出だせないのが特徴である。
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