東蒲原郡の移管
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 15:41 UTC 版)
しかし、若山県の独立論および県庁の郡山移転論は、いずれも中央政府(内務省)から却下された。 政府は県庁を北端の福島に留めることとし、かわりに福島から遠い東蒲原郡を新潟県へと編入して旧若松県から切り離すことで、分県運動を抑え込むことを狙った(事実、本郡からは福島県庁までより新潟県庁までのほうが2倍以上も近い)。 1886年(明治19年)5月25日に、東蒲原郡は福島県から新潟県へと移管された。同時点で新潟県はすでに越後国のうち本郡を除く全域を管轄していたため、本郡は、古来より属した越後国へと再び合流する形となった。
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