東海新聞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/06 14:05 UTC 版)
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東海新聞(1945年~1977年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 08:44 UTC 版)
「東海愛知新聞」の記事における「東海新聞(1945年~1977年)」の解説
1945年(昭和20年)12月25日 - 岡崎市元能見町188番地の民家で『東海新聞』が創刊。初代社長は黒柳章、主幹編集長は榊原金之助。 1948年(昭和23年) - 東海新聞社の社屋が伝馬通1丁目に移転。 1972年(昭和47年)12月5日 - 榊原金之助が東海新聞社の社長を退任。翌日、清水勉が社長に就任した。 1973年(昭和48年)5月 - 東海新聞社の社屋が明大寺町折戸(現・南明大寺町)に移転。
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