東南アジアでの軍歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/02 07:00 UTC 版)
「ラファエル・ペレストレーリョ」の記事における「東南アジアでの軍歴」の解説
ラファエル・ペレストレーリョはアフォンソ・デ・アルケブルケの従弟ジョルジ・デ・アルケブルケのもとについて、1514年のパサイ王国との戦争に参加している。この戦争は、ポルトガルに敵対的なこのスマトラ島北部のイスラーム王国のスルターンを廃し、友好的な者にすげかえるためのものだった。16世紀の歴史かジョアン・デ・バロスによれば、ポルトガル軍がこのスマトラの「ムーア人」の砦を攻撃した際、ラファエル・ペレストレーリョ率いるマルケスという部隊が、防護柵越え一番乗りを果たした。強大な敵を打ち負かしたポルトガル人は、東南アジアの交易権の覇権を握り、コショウを買いたたいてヨーロッパに送ることで莫大な富を築くことができるようになった。またポルトガルに追われたマラッカの前スルターンのマフムート・シャーが1524年に再起を図った際には、ビンタン島でこれを破ってマレー半島へ追いやっている。
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