杜審権とは? わかりやすく解説

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杜審権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/27 07:47 UTC 版)

杜 審権(と しんけん、804年 - 875年)は、唐代官僚文人政治家は殷衡[1][2]、あるいは得鈞[3]。小杜公と称された[2]本貫京兆府万年県

経歴

大和5年(831年)、進士に及第し、弘文館校書郎に任じられた。崔郾の下で鄂岳安黄等州観察推官をつとめ、江南西道観察推官となった。さらに書判抜萃科に登第し、藍田県尉に任じられた。河中節度使の鄭粛の推挙により、監察御史となり、記室の事務を管掌した。右拾遺に任じられ、左補闕に転じた。起居舎人となり、『注記』10巻を編纂した。大中年間、司勲員外郎・考功員外郎・吏部員外郎を歴任し、修撰を兼ねた。兵部郎中となり、侍御史・知雑事を兼ねた[3]。本官のまま知制誥となり、中書舎人に任じられた。大中10年(856年)、知礼部貢挙をつとめた。大中11年(857年)、正式に礼部侍郎に任じられた[1][2]。9月、陝州大都督府長史・陝虢都防禦観察使として出向した[4]。大中13年(859年)、検校礼部尚書河中尹・河中節度・晋絳慈隰観察等使に転じた。

懿宗が即位すると、審権は長安に召還されて、兵部侍郎・判度支に任じられた[1]。12月、本官のまま同中書門下平章事(宰相)となった[5]咸通元年(860年)、中書侍郎となり、工部尚書を兼ねた[6]。咸通3年(862年)、門下侍郎となり、吏部尚書を兼ねた[7]。咸通4年(863年)、宰相を退任して[8]、検校吏部尚書となり、潤州刺史・鎮海軍節度使をつとめた[9]

咸通9年(868年)、龐勛桂州から徐州に帰り、反乱を起こすと、審権は淮南節度使の令狐綯や荊南節度使の崔鉉と協力して、龐勛の乱を討った。咸通10年(869年)、反乱が鎮圧されると、審権は長安に召還されて、尚書左僕射に任じられ、襄陽郡公に封じられた。咸通11年(870年)、検校司徒・同平章事となり、河中尹・河中節度・晋絳慈隰観察等使をつとめた[10][2]

乾符2年(875年)、審権は本官のまま許州刺史・忠武軍節度・陳許観察等使となった。7月18日、死去した。享年は72。太尉の位を追贈された[3]は徳といった[2]。著書に『綸閣集』20巻・『金門集』22巻・『雑文賦集』30巻があった[3]

家族

  • 七世祖:杜淹(杜如晦の叔父)
  • 六世祖:杜敬同
  • 玄祖父:杜従則(工部侍郎)
  • 高祖父:杜自遠
  • 曾祖父:杜俌
  • 祖父:杜佐(大理寺正)
  • 叔祖父:杜蔚
  • 伯父:杜元穎
  • 父:杜元絳(太子賓客)[1]
  • 弟:杜致美
  • 弟:杜廷美
  • 妻:李琛(李翺の娘)
  • 子:杜譲能
  • 子:杜夢符
  • 子:杜彦林(御史中丞)
  • 子:杜弘徽(戸部侍郎・弘文館学士)[11][12]
  • 子:杜用礪

脚注

  1. ^ a b c d 旧唐書 1975, p. 4610.
  2. ^ a b c d e 新唐書 1975, p. 3863.
  3. ^ a b c d 杜審権墓誌による。
  4. ^ 旧唐書 1975, p. 639.
  5. ^ 新唐書 1975, p. 256.
  6. ^ 新唐書 1975, p. 1735.
  7. ^ 新唐書 1975, p. 1736.
  8. ^ 新唐書 1975, p. 258.
  9. ^ 新唐書 1975, p. 1737.
  10. ^ 旧唐書 1975, p. 4611.
  11. ^ 旧唐書 1975, pp. 4611–4616.
  12. ^ 新唐書 1975, pp. 3864–3866.

伝記資料

  • 旧唐書』巻177 列伝第127
  • 新唐書』巻96 列伝第21
  • 唐故陳許節度使贈太尉杜府君墓誌銘(杜審権墓誌)

参考文献




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