李殿璋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/06 09:55 UTC 版)
| 李殿璋 | |
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| プロフィール | |
| 出生: | 1879年 [旧暦]清光緒5年3月[1] |
| 死去: | 没年不明(1945年2月時点では存命) |
| 出身地: | |
| 職業: | 外交官・行政官僚 |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 李殿璋 |
| 簡体字: | 李殿璋 |
| 拼音: | Lǐ Diànzhāng |
| ラテン字: | Li Tien-chang |
| 和名表記: | り でんしょう |
| 発音転記: | リー・ティエンチャン(リー・ディエンジャン) |
李 殿璋(り でんしょう、1879年〈光緒5年〉 - 没年不明)は、清末民初の外交官・行政官僚。清朝と北京政府では外交部門で各職を歴任。中華民国臨時政府や南京国民政府(汪兆銘政権)華北政務委員会では、実業部門の総務局長を長くつとめた。
事績
清朝と北京政府での活動
1898年(光緒24年)に同文館を卒業[注 1]。清末は総理各国事務衙門繙生[注 2]、駐オーストリア公使館繙澄官、外務部員外郎を歴任している[1]。
中華民国が成立すると、北京政府の外交部で弁事員や科長をつとめ、1915年(民国4年)8月、外交部中大夫の位を授与された。1917年(民国6年)9月には清華学校董事となった。外交部には1927年(民国16年)まで在ったものの、最終的に僉事・科長の地位を超えることは無かった[2]。蔣介石国民政府には、李殿璋は出仕しなかったと見られる。
親日政権での活動
王克敏が中華民国臨時政府を樹立すると、李殿璋もこれに参加した。正確な時期は不明だが、1938年(民国27年)7月までには実業部(総長:王蔭泰)総務局局長に任命されている[注 3]。1939年(民国28年)5月31日には、中日実業株式会社の監査役に選任された[3]。
1940年(民国29年)3月30日、臨時政府が南京国民政府(汪兆銘政権)に合流し、華北政務委員会に改組されると、李殿璋は実業部を改組した実業総署で総務局局長代理に重任した[4][注 4]。1942年(民国31年)時点では、新民印書館の董事(取締役)となっている[5]。1943年(民国32年)3月、国民政府中央から実業総署総務局局長として正式任命された[6]。同年11月の華北政務委員会機構改革で実業総署は廃止されたが、李自身は12月3日に新設の農務総署(督弁:王蔭泰)で総務局局長代理として任命されている[7]。
1945年(民国34年)2月、李殿璋は農務総署総務局局長代理を免職された。この免職は別途任用を予定していたが[8]、その後の李の任用状況は不明で、動向も判然としない。また、李が漢奸として摘発されたとの情報も見当たらない。
逸話・その他
京劇俳優の程硯秋と親交があり、安藤徳器によると、李殿璋は程の「番頭」的役割まで果たしていた、とのことである[9]。その安藤が中国大陸を訪問した際にも、李が案内役をつとめた。
注釈
- ^ 安藤(1939)、86頁は、李殿璋について「独逸留学のドクトル」と記述しているが、具体的な学歴は不詳。
- ^ 次に出てくる「繙澄官」共々、翻訳員を指す。
- ^ 臨時政府『政府公報』に李殿璋の総務局長任命に関する記載は見当たらない。しかし安藤(1939)、5頁は、1938年7月までに李がこの役職に就いていたことを記述しており、東亜同文会業務部編(1940)、946-947頁や満蒙資料協会編(1942)、743頁にも就任との記載がある。そのため、何らかの錯誤で『政府公報』から記載が脱落した可能性が高い。なお『政府公報』第55号、民国28年1月26日、22頁の実業部職員俸給表には、「李啓璋」という人物が「簡任二等四級」として記載されており、局長の地位・俸給として矛盾の無い李殿璋を指すものと考えられる。また『政府公報』第137号、民国29年3月16日、1頁には、李殿璋が春丁祀孔(孔子大祭)における分献担当の1人として記載されている。
- ^ 公報上の任命は5月4日だが、華北政務委員会が成立した3月30日に事実上の重任となっていた可能性が高い。
出典
- ^ a b c 満蒙資料協会編(1942)、743頁。
- ^ 中華民国政府官職資料庫「姓名:李殿璋」
- ^ 中日実業(1943)、「附輯」35頁。
- ^ 華北政務委員会任用令、任字第51号、民国29年5月4日(『華北政務委員会公報』第1-6期合刊、民国29年6月9日、華北政務委員会政務庁情報局、本会16頁)。
- ^ 『北支会社年鑑 昭和十七年版』大連商工会議所、138頁。
- ^ 『日文国民政府彙報』第169号、民国32年3月29日、中国和文出版社、2-3頁。
- ^ 華北政務委員会令、政字第230号、民国32年12月3日(『華北政務委員会公報』第259・260期合刊、民国32年12月9日、2頁)。
- ^ 華北政務委員会令、任字第53号、民国34年2月24日(『華北政務委員会公報』第339・340期合刊、民国34年3月19日、1頁)。
- ^ 安藤(1939)、130頁。
参考文献
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