李殿璋とは? わかりやすく解説

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李殿璋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/11 20:27 UTC 版)

李殿璋
プロフィール
出生: 1879年
[旧暦]清光緒5年3月[1]
死去: 没年不明(1943年12月時点では存命)
出身地: 広東省広州城[1]
職業: 外交官・行政官僚
各種表記
繁体字 李殿璋
簡体字 李殿璋
拼音 Lǐ Diànzhāng
ラテン字 Li Tien-chang
和名表記: り でんしょう
発音転記: リー・ティエンチャン(リー・ディエンジャン)
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李 殿璋(り でんしょう、1879年〈光緒5年〉 - 没年不明)は、清末民初の外交官・行政官僚。清朝と北京政府では外交部門で各職を歴任。中華民国臨時政府や南京国民政府(汪兆銘政権華北政務委員会では、実業部門の総務局長を長くつとめた。

事績

清朝と北京政府での活動

1898年(光緒24年)に同文館を卒業[注 1]。清末は総理各国事務衙門繙生[注 2]、駐オーストリア公使館繙澄官、外務部員外郎を歴任している[1]

中華民国が成立すると、北京政府の外交部で弁事員や科長をつとめ、1915年民国4年)8月、外交部中大夫の位を授与された。1917年(民国6年)9月には清華学校董事となった。外交部には1927年(民国16年)まで在ったものの、最終的に僉事・科長の地位を超えることは無かった[2]蔣介石国民政府には、李殿璋は出仕しなかったと見られる。

親日政権での活動

王克敏中華民国臨時政府を樹立すると、李殿璋もこれに参加した。正確な時期は不明だが、1938年(民国27年)7月までには実業部(部長:王蔭泰)総務局局長に任命されている[注 3]1939年(民国28年)5月31日には、中日実業株式会社の監査役に選任された[3]

1940年(民国29年)3月30日、臨時政府が南京国民政府(汪兆銘政権)に合流し、華北政務委員会に改組されると、李殿璋は実業部を改組した実業総署で総務局局長代理に重任した[4][注 4]1942年(民国31年)時点では、新民印書館の董事(取締役)となっている[5]1943年(民国32年)11月の華北政務委員会機構改革で実業総署は廃止されたが、李自身は12月10日に新設の農務総署で総務局長代理に任命された[6]

以後、李殿璋の動向は不詳である。なお、李が漢奸として摘発された旨の情報は見当たらない。

逸話・その他

京劇俳優の程硯秋と親交があり、安藤徳器によると、李殿璋は程の「番頭」的役割まで果たしていた、とのことである[7]。その安藤が中国大陸を訪問した際にも、李が案内役をつとめた。

注釈

  1. ^ 安藤(1939)、86頁は、李殿璋について「独逸留学のドクトル」と記述しているが、具体的な学歴は不詳。
  2. ^ 次に出てくる「繙澄官」共々、翻訳員を指す。
  3. ^ 臨時政府『政府公報』に李殿璋の総務局長任命に関する記載は見当たらない。しかし安藤(1939)、5頁は、1938年7月までに李がこの役職に就いていたことを記述しており、東亜同文会業務部編(1940)、946-947頁や満蒙資料協会編(1942)、743頁にも就任との記載がある。そのため、何らかの錯誤で『政府公報』から記載が脱落した可能性が高い。なお『政府公報』第55号、民国28年1月26日、22頁の実業部職員俸給表には、「李璋」という人物が「簡任二等四級」として記載されており、局長の地位・俸給として矛盾の無い李殿璋を指すものと考えられる。また『政府公報』第137号、民国29年3月16日、1頁には、李殿璋が春丁祀孔(孔子大祭)における分献担当の1人として記載されている。
  4. ^ 公報上の任命は5月4日だが、華北政務委員会が成立した3月30日に事実上の重任となっていた可能性が高い。

出典

  1. ^ a b c 満蒙資料協会編(1942)、743頁。
  2. ^ 中華民国政府官職資料庫「姓名:李殿璋」
  3. ^ 中日実業(1943)、「附輯」35頁。
  4. ^ 華北政務委員会任用令、任字第51号、民国29年5月4日(『華北政務委員会公報』第1-6期合刊、民国29年6月9日、華北政務委員会政務庁情報局、本会16頁)。
  5. ^ 『北支会社年鑑 昭和十七年版』大連商工会議所、138頁。
  6. ^ 『日文国民政府彙報』第219号、民国33年4月6日、中国和文出版社、8頁。
  7. ^ 安藤(1939)、130頁。

参考文献

  • 満蒙資料協会編『中国紳士録 第二版』満蒙資料協会、1942年。 
  • 安藤徳器『満支雑記』白揚社、1939年。 
  • 東亜同文会業務部編『新支那現勢要覧 第二回(昭和十五年版)』東亜同文会業務部、1940年。 
  • 中日実業株式会社三十年史』中日実業、1943年。 



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