李明博政権の最大野党・民主統合党代表
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「李海瓚」の記事における「李明博政権の最大野党・民主統合党代表」の解説
選挙後、親盧武鉉系のシンクタンクで活動を続けていたが、盧武鉉・金大中元大統領の死去後、政治的活動を活発化させ、進歩系市民団体が野党統合を推進するため2011年9月に結成した「革新と統合」(以下、革統)の常任代表の一人となった。民主党と市民統合党(革統が統合の法的要件を満たすため結成した政党)および韓国労働組合総連盟が2011年12月に統合して民主統合党が結成されると、李海瓚は常任顧問に就任した。 2012年4月に予定されている第19代総選挙では世宗特別自治市選挙区から出馬する意向を、3月19日に明らかにした。そして選挙の結果、沈大平自由先進党代表などを抑えて4年ぶりの返り咲きを果たした。 総選挙で民主統合党を含む野圏が事実上敗北した責任を取って韓明淑代表が辞任したことにより実施された党指導部選挙(地域別に行われる代議員投票と党員・市民選挙人団によるモバイル投票の結果を7対3で反映する方法で実施)に出馬。地域別に行われた代議員投票では非盧派の金ハンギルに後れを取る結果となったが、首都圏代議員投票と党員・市民選挙人団によるモバイル投票で巻き返しに成功、僅差で金ハンギルを逆転し1位となり、6月9日の全党大会で党代表に選出された。12月に行われる韓国大統領選挙における野党圏有力候補である安哲秀(無所属)との候補者一本化交渉の中で、党指導部退陣を求める声が安側から挙がったことをきっかけに11月18日、李代表以下の党指導部全員が辞任した。
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