杉亨二とは? わかりやすく解説

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杉亨二

(杉純道 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/01 08:16 UTC 版)

杉 亨二(すぎ こうじ、文政11年8月2日1828年9月10日) - 1917年大正6年)12月4日)は、日本の統計学者官僚啓蒙思想家法学博士。「日本近代統計の祖」と称される。初名は純道(じゅんどう)。柳樊斎と号した。


  1. ^ 誕生日について、旧暦8月2日とする説と9月2日とする説がある[2](p10)
  2. ^ この時期、諸藩が蘭学に力を入れるようになった。中津藩から杉へのこの依頼も、そうした動きの一環である。なお、おなじ藩邸で中津藩士の福澤諭吉1858年(安政5年)蘭学校を開き、これが慶應義塾の前身となった。
  3. ^ 名簿には氏名と出身が書いてあった程度であり、能力や業績がわかる資料が付いていたわけではない。島村[6](p11) は、杉が町人の出であり、でなかったことで、長崎への同行に差し障りがあったと推測している。
  4. ^ 加地[8](p74) は、妻の名を「金(きん)子」としている。
  5. ^ ただし、自叙伝[5] は杉が高齢(88歳)になってからの聴き取りであり、あいまいな部分や記憶違いが多いことに注意する必要がある。細谷[10](p21) は、適塾の門人名簿にすでに「亨二」と読める名が記載されていることを指摘している。宮川[3](p33)勝海舟の私塾でオランダ語を教えていた時期、薮内[9](p16) はその後阿部正弘の知遇を得た時期に改名したとそれぞれ書いているが、いずれも典拠不明。
  6. ^ 当時、杉と同様に徳川家に付き従って移り住んだ幕臣が多かったため、これに起因する人口移動によって、静岡周辺は混乱状態にあった。地元行政組織が人別調に協力的だった背景として、このような状況下で人口の状態を精確に知りたいと行政側も考えていたと推測できる。[13]
  7. ^ スタチスチック社(その後統計学社と改名)と東京統計協会(旧製表社)は1944年に合併して財団法人大日本統計協会となった。1947年に日本統計協会となり、現在に至る。[20]
  1. ^ 『人事興信録』第4版
  2. ^ a b c 佐藤正広 著「杉亨二と統計: 維新を生きた蘭学者」、佐藤正広 編『近代日本統計史』晃洋書房、2020年2月20日、3-29頁。ISBN 9784771033030NCID BB29793119 
  3. ^ a b c d e 宮川公男『統計学の日本史: 治国経世への願い』東京大学出版会、2017年。ISBN 9784130430395NCID BB24506479 
  4. ^ 宇田川榛齋・藤井方亭『西説醫範提綱釋義 3巻』須原屋伊八, 河内屋儀助 : 河内屋太助、18--。doi:10.20730/200021822NCID BB22461653 
  5. ^ a b c d e f g h 杉亨二 (口述); 河合利安 (筆記/解説)『杉亨二自叙傳』杉八郎、1918年5月18日。doi:10.11501/980787NCID BN09528007 
  6. ^ a b c d e 島村史郎『日本統計発達史』日本統計協会、2008年。ISBN 9784822334888NCID BA86024968 
  7. ^ a b c 河合利安「杉先生略傳」『杉亨二自叙傳』杉八郎、1918年5月18日。doi:10.11501/980787NCID BN09528007 
  8. ^ a b 加地成雄『杉亨二伝』葵書房、1960年。doi:10.11501/2975113NCID BA42528068 
  9. ^ a b c 薮内武司『日本統計発達史研究』法律文化社〈岐阜経済大学研究叢書 7〉、1995年。ISBN 4589018896NCID BN12835627 
  10. ^ a b c d e f g 細谷新治『解題』〈[寸多] [知寸] [知久] 歴史及理論之部 別冊 (日本統計協会創立100周年事業)〉1980年。doi:10.11501/12011762NCID BN03166151 
  11. ^ Simon Vissering『形勢学論』杉亨二 (訳)(書写資料)〈早稲田大学図書館所蔵大隈重信関係資料 A118〉、1869?。hdl:2065/6771 
  12. ^ 山下太郎「明治の文明開化のさきがけ: 静岡学問所とイギリス哲学」『イギリス哲学研究』第3巻、日本イギリス哲学会、1980年3月31日、33-43頁、doi:10.24587/sbp.1980_033ISSN 03877450NAID 130007411272 
  13. ^ a b 丸山健夫『ナイチンゲールは統計学者だった!-統計の人物と歴史の物語-』日科技連出版社、2008年。ISBN 9784817192738  (第2章が杉の伝記)
  14. ^ 杉亨二・世良太一 編『杉先生講演集』横山雅男、1902年8月。doi:10.11501/898298NCID BN05941908 
  15. ^ 杉亨二『辛未政表』(木版)御用御書物師、1872年。doi:10.11501/994348NCID BA36486677 
  16. ^ 太政官政表課『壬申政表』(復刊版)日本統計協会〈統計古書シリーズ 2〉、1962年(原著1873年)。doi:10.11501/3023667NCID BN13297950 
  17. ^ 太政官調査局『日本政表』調査局、1876-1878。 NCID BN16140536 
  18. ^ 「日本統計年鑑」120 回の歩み” (PDF). www.stat.go.jp. 総務省統計局. 2023年6月29日閲覧。
  19. ^ 森博美 著「明治31年内閣訓令第1号乙号と調査票情報」、佐藤正広 編『近代日本統計史』晃洋書房、2020年2月20日、175-207頁。ISBN 9784771033030NCID BB29793119 
  20. ^ 協会案内”. www.jstat.or.jp. 日本統計協会. 2023年7月1日閲覧。
  21. ^ 杉亨二 (口述); 横山雅男 (筆記)『[寸多] [知寸] [知久] 歴史及理論之部 巻一』(復刻版)日本統計協会〈日本統計協会創立100周年事業〉、1980年(原著1883年)。doi:10.11501/12011861NCID BN03166151  (共立統計学校における杉の授業を受講した横山雅男が書きとった講義ノート:復刻版)
  22. ^ 川島博『国勢調査論講』日本統計協会、1955年。 NCID BN16059744 
  23. ^ a b 碓井知鶴子「官立東京女学校の基礎的研究: 在学生の「生活史」の追跡調査」『東海学園女子短期大学紀要』第19巻、東海学園女子短期大学、1984年7月20日、64-80頁、hdl:11334/1179ISSN 02858428NAID 110000192745 
  24. ^ 『官報』第5837号「叙任及辞令」1902年12月16日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949140
  25. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1915年11月10日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2953092
  1. ^ 寛, 子母沢 (1964). 勝海舟. 東京: 新潮社. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000985848-00 
  2. ^ 勝海舟(ドラマ)の出演者・キャスト一覧 | WEBザテレビジョン(4759)”. WEBザテレビジョン. 2023年6月27日閲覧。
  3. ^ 仰ぎ見る大樹”. 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア. 2023年6月27日閲覧。


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