本町駅 (岐阜県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 01:11 UTC 版)
本町駅 | |
---|---|
ほんまち HOMMACHI |
|
◄伊奈波通 (0.4 km)
(0.4 km) 材木町►
|
|
所在地 | 岐阜県岐阜市 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 岐阜市内線 |
キロ程 | 2.8 km(岐阜駅前起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1911年(明治44年)10月7日 |
廃止年月日 | 1988年(昭和63年)6月1日 |
本町駅(ほんまちえき)は、岐阜県岐阜市本町にあった、名古屋鉄道岐阜市内線(長良線[1])の停留場である。
ここでは、1946年に当停留場に統合された矢島町駅(やじまちょうえき)についても併せて述べる。
歴史
岐阜市内線は前身である美濃電気軌道の路線として1911年2月に駅前駅(後の新岐阜駅前駅)から今小町駅(後に統合され大学病院前駅)まで開通、同年10月にはさらに路線を今小町駅から延伸させた。その第2期開通区間の終着駅として開業したのが当停留場である。本町までの路線開通を祝して、現在の本町一丁目付近には祝賀用のアーチが設営された[2]。開業の翌年、1912年には当停留場からさらに長良川の南岸へ路線が伸び[3]、長良橋駅までの区間が開業した。当停留場ははじめ岐阜駅前起点3.0 km地点に置かれ[4]、当停留場と伊奈波通駅の間、岐阜市矢島町付近には矢島町駅が置かれていた。当停留場はこの矢島町駅を1946年に統合し、さらに岐阜駅前起点2.8 km地点に移転している[4]。
戦後になると当停留場を含む岐阜市内線の徹明町 - 長良北町間はモータリゼーションの影響を受け衰退、ぎふ中部未来博の開催を控えた1988年に市内交通の妨げにもなることから廃止され[5]、それとともに当停留場は廃駅となった。
- 1911年(明治44年)10月7日 - 美濃電気軌道市内線の今小町 - 当停留場間の開通と同時に開業[6]。
- 1912年(大正元年)8月28日 - 市内線が当停留場から長良橋駅まで延伸[6]。
- 1948年(昭和23年) - 矢島町駅と統合する[6]。
- 1988年(昭和63年)6月1日 - 岐阜市内線の徹明町 - 長良北町間の廃止に伴い廃駅となる[6]。
停留場構造
併用軌道上に相対式2面2線の乗り場が設けられていた。駅舎はない。
配線図
← 長良北町方面 |
![]() |
→ 徹明町方面 |
凡例 出典:[7] |
その他
- 岐阜市内線は当停留場を含む伊奈波通 - 長良橋間に、4箇所のクランク状の急カーブ(半径40 - 60 m)があり、大型車の導入のネックになっていた。1967年(昭和42年)にモ550形が運用されるまでは、木造の単車が長く使用された。
隣の停留場
脚注
- ^ 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、31頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、35頁。 ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、21頁。 ISBN 4-87670-097-4。
- ^ a b 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、52頁。 ISBN 978-4-10-790025-8。
- ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 名古屋北部・岐阜篇 1、草思社、1997年、126頁。 ISBN 4-7942-0796-4。
- ^ a b c d 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、218-230頁。 ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」
関連項目
- 本町駅 (岐阜県)のページへのリンク