岐阜柳ヶ瀬駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/01 02:03 UTC 版)
岐阜柳ヶ瀬駅* | |
---|---|
ぎふやながせ GIFU YANAGASE |
|
◄徹明町 (0.3 km)
(0.3 km) 市役所前►
|
|
所在地 | 岐阜県岐阜市 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 岐阜市内線 |
キロ程 | 1.2 km(岐阜駅前起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1911年(明治44年)2月11日 |
廃止年月日 | 1988年(昭和63年)6月1日 |
備考 | * 改称経歴 - 大正中期 神田町駅→美濃電柳ヶ瀬駅 - 1931年 美濃電柳ヶ瀬駅→岐阜柳ヶ瀬駅 |
岐阜柳ヶ瀬駅(ぎふやながせえき)は、岐阜県岐阜市神田町にあった、名古屋鉄道岐阜市内線(長良線[1])の停留場である。
岐阜市の繁華街である柳ヶ瀬の最寄駅で、かつては美濃町線の起点が置かれていた。
歴史
1911年、美濃電気軌道が岐阜市内線と美濃町線の前身となる路線を同時に開業させた際、当停留場はその2路線が接続する駅として開業した。駅名ははじめ神田町駅(かんだまちえき)と称したが、大正中期に美濃電柳ヶ瀬駅(みのでんやながせえき)に改称された後、1931年に岐阜柳ヶ瀬駅に変更されている[2]。
美濃町線ははじめ当停留場を起点とし、ここから梅林駅まで、美殿町通りに沿って路線が敷かれていた[3]。しかし、駅周辺は道幅が狭く接続駅として難があったことから、1950年に南の徹明通りが拡幅されたのに合わせて路線を移設、美濃町線の起点は当停留場から徹明町駅に移された[4][5]。以後、駅には岐阜市内線のみが乗り入れていたが、自動車の普及もあり路線は窮地に立たされる。結局業績の不振が止まず、当停留場を含む徹明町駅 - 長良北町駅はぎふ中部未来博の開催を控えた1988年、市内の交通の妨げになることから廃止され、当停留場も廃止された[4][6]。
- 1911年(明治44年)2月11日 - 美濃電気軌道の駅前 - 今小町間、および当停留場 - 上有知(のちの美濃)間の開通と同時に神田町駅として開業[7]。
- 大正中期 - 美濃電柳ヶ瀬駅に改称[7]。
- 1931年(昭和6年)1月1日 - 岐阜柳ヶ瀬駅に改称[7]。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 美濃町線の起点を徹明町駅に変更。当停留場 - 梅林駅間廃止[7]。
- 1988年(昭和63年)6月1日 - 岐阜市内線の徹明町駅 - 長良北町駅間廃線により廃止[7]。
停留場構造
配線図
↑ 美濃町線 日野橋方面 (1950年廃止) |
||
← 伊奈波通方面 |
![]() |
→ 徹明町方面 |
凡例 出典:[8] |
駅名について
『名古屋鉄道社史』『名古屋鉄道百年史』など名鉄作成の資料においては1931年以降一貫して岐阜柳ヶ瀬としているが、鉄道省作成の『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』においては柳ヶ瀬と表記されるなど、戦前においては表記の揺れがみられる。路線図などでも両者が混在している。
電車の車内放送(ワンマンカーの車内放送テープ)は晩年まで柳ヶ瀬と呼称していた。
停留場周辺
隣の停留場
- 名古屋鉄道
- 岐阜市内線
-
美濃町線(旧線)
- 岐阜柳ヶ瀬駅 - 梅林駅
脚注
- ^ 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、31頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ a b 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、52頁。 ISBN 978-4-10-790025-8。
- ^ 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、58頁。 ISBN 4-87670-097-4。
- ^ a b 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、23-25頁。 ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 名古屋北部・岐阜篇 1、草思社、1997年、174頁。 ISBN 4-7942-0796-4。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、571頁。
- ^ a b c d e f 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、218-230頁。 ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 『路面電車と街並み―岐阜・岡崎・豊橋』 日本路面電車同好会名古屋支部、トンボ出版、1999年6月、96頁。ISBN 978-4887161245。
関連項目
固有名詞の分類
- 岐阜柳ヶ瀬駅のページへのリンク