本満寺実泉院内の墓(京都府京都市上京区寺町)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 09:14 UTC 版)
「山中幸盛」の記事における「本満寺実泉院内の墓(京都府京都市上京区寺町)」の解説
宝暦14年(1764年)5月22日、幸盛の子孫である山中永辰と山中一信によって建立された。幸盛の墓は本堂脇の墓所中央に位置し、周囲に山中一族の墓碑がある。墓の裏面には、次のように記載される(原文は漢文)。「尼子忠臣山中幸盛、幼きより勇彊にして、軍鋒の魁たり。年三十(四)にて備中阿部に戦死す。実に惟れ天正六戊寅五月廿二日也。子(孫)山中永辰、同一信、相與に謀り、樹石を広宣し、流布山本願満足寺に奉り、先ず本に報じ、以て無窮に示す。 宝暦十四年歳舎甲申五月廿二日 当山丗七世日視誌す」。
※この「本満寺実泉院内の墓(京都府京都市上京区寺町)」の解説は、「山中幸盛」の解説の一部です。
「本満寺実泉院内の墓(京都府京都市上京区寺町)」を含む「山中幸盛」の記事については、「山中幸盛」の概要を参照ください。
- 本満寺実泉院内の墓のページへのリンク