本庄宿の五人組制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 04:01 UTC 版)
本庄の町村にも徳川時代以前から五人組制度が存在し、徳川時代に至るとキリスト教の伝播防止及び浪人の取締の必要上、著しく発達した。宿民は遺漏なく組合に加入させられ、相互に品行を監督し、喜鬱を分かち、結束力を高めていったとされる。五人組編成は名主の持場を一区とし、その区域内の住民を「屋敷持(平百姓)」と「店借家人(水呑百姓)」に分けた。本庄宿では名主1人、組頭3人乃至45人を置き、組頭が直接五人組を監督した。通例では五家一組とするが、当然、例外もあった。なお宿役人及び僧侶は五人組には加入しない。
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