末兼俊彦による説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 05:45 UTC 版)
「鬼切丸 (北野天満宮)」の記事における「末兼俊彦による説」の解説
末兼俊彦は、この安綱銘も「童子切安綱」や京都国立博物館の「太刀 銘 安家」と遥かに異なり、後世の追刻ではないかと述べている。実際の作風からも備前風が強い。所蔵神宮である北野天満宮も「伝安綱」と表記を変更することがある。2020年に春日大社にて開催された「最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展」では童子切安綱と共に古伯耆の刀として展示された。 国綱銘に関しても、鬼切安綱を保管していたと伝わる箱に「左近将監国綱」(左近将監国綱は粟田口の国綱が賜った官位)と書いてあるからであり、現在粟田口作と見る目は少ない。刀剣自体は国綱は国綱でも、古伯耆と似ている古備前の国綱ではないかと鑑定する声もある[要ページ番号]。
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