末割四郎惟弘他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 01:25 UTC 版)
今度殊に臆病なりときこゆるものすべて五人ありけり。これを略頌につくりけり。鏑の音きかじと耳をふさぐ剛のもの、紀七、高七、宮藤王、腰瀧口、末四郎。末四郎といふは末割四郎惟弘が事なり。 紀七、高七、宮藤王、腰瀧口、末割四郎惟弘は不明。腰瀧口は誤記か腰瀧口季方とは別人か。江戸時代の喜多村信節(筠庭?)著『嬉遊笑覧』には、「前文の腰滝口とあるは、非なるべし」とある。しかしこの4名の内、宮藤王、腰瀧口は「王」「瀧口」から、京からの郎党であろう。
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