木喰の来訪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 14:51 UTC 版)
甲斐国出身の木食僧である木喰は生涯に渡り多くの仏を残し、「木喰仏」と呼ばれた。木喰は安永7年(1778年)6月に弟子の木食白道とともに蝦夷地を訪れており、安永9年(1780年)5月まで滞在している。木喰は蝦夷地において造像活動を始め、二海郡八雲町の門昌庵の諸像は初期の作例とされていたが、2004年の調査で蝦夷地における初期の木喰仏は弟子の白道の作例であることが判明した。 また、木喰は太田山神社を訪れ円空仏を実見したことにより造像活動を開始したとする説がある。木喰が円空や円空仏に関して直接言及した史料は残されておらず、門昌庵の『納経帳』の存在から木喰が太田山神社を訪れたとする説があるが、異説もある。一方で、弟子の白道は『木食白導一代記』において太田山神社を訪れた記録を残し、多数の仏を見たと記録している。
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