有望な嫡男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 06:07 UTC 版)
元和元年(1615年)柳生利厳の嫡男として誕生。母は正室だというが、不明である。初名は権平。 この年父・利厳は成瀬正成の推挙により尾張藩主徳川義直に兵法師範として500石で仕えている。 清厳は利厳から直々に新陰流を叩き込まれ、自身でも宝蔵院流槍術を習得していた。また読書・詩歌に勤しむなど文武両道の人物であった。 元服して新左衛門と名乗ると、徳川義直の小姓となり300石を賜った。清厳は新陰流の後継者として父・主君に大いに期待されていた。
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